企業を取り巻く環境は、これまで以上に多様で複雑になっています。株主や顧客だけでなく、従業員、取引先、地域社会など、企業活動に関わるステークホルダーは広がり続けています。その中で重要性が増しているのが「ナラティブ戦略」です。ナラティブとは、企業が大切にしている価値観やビジョンを、“物語の形で共有する姿勢”を指します。単なるスローガンや広告ではなく、企業の行動や意思決定の背景にある「理由」を伝えることで、共感や信頼を育むことができます。本記事では、なぜナラティブ戦略が求められているのか、その役割と実践のポイントを整理します。

なぜ今「ナラティブ戦略」が求められるのか
近年、企業には短期的な利益追求だけではなく、社会に対してどのような価値をもたらすのかを明確に示すことが求められています。その背景には、ESG投資の拡大や、サステナビリティへの関心の高まりがあります。企業の存在意義や中長期戦略が、以前より厳しく問われるようになりました。経済産業省が公表した「価値共創ガイダンス」でも、企業とステークホルダーが共に価値をつくる姿勢が重視されています。ここで、企業が何を目指し、どのような判断を行うのかを説明する枠組みとして「ナラティブ」が活用され始めています。
ナラティブは、経営理念やビジョンを感情と論理の両側面から共有することで、「共通の理解」を生み出す手法です。スローガンやキャッチコピーとは異なり、企業がどのような経験や課題を経て現在に至ったのか、その歩みを含めて伝える点が特徴です。単純な説明よりも「共感の余地」を生みやすく、ステークホルダーの信頼形成につながります。
ステークホルダーの価値観の変化
かつては「安定」「効率」「価格」が企業選択の主な基準でした。しかし、現代はそれだけでは不十分です。働き手は「自分が納得できる企業で働きたい」と考え、消費者は「応援したい企業」を選ぶようになりました。ナラティブは、こうした価値観の変化に応える重要な手段となります。
ステークホルダーとの関係構築におけるナラティブの役割
企業は日々多くの意思決定を行いますが、その判断に一貫性があると、企業に対する信頼が高まりやすくなります。ナラティブは、その意思決定の背景にある「理由」を共有することで、ステークホルダーに“理解の軸”を提供します。理解が深まることで、企業とステークホルダーの間に長期的な協力関係が築かれます。
例えば、CSRやサステナビリティ報告において、データや取り組みを列挙するだけでは、読み手にとって意味が見えにくいです。しかし、そこに「なぜその取り組みを行うのか」「どのような未来を描いているのか」というストーリーが伴うと、情報は一つの物語としてつながり、読者の記憶に残りやすくなります。
さらに、ナラティブは社内にも影響を与えます。従業員が企業の物語に共感できれば、日々の行動や判断に迷いが生じにくくなり、組織全体に一貫した方向性が生まれます。これは、働きがいに直結する要素でもあります。
ステークホルダーとの関係構築におけるナラティブの役割は、信頼の土台を築くことにあります。ただ情報を伝えるのではなく、「なぜそれを大切にするのか」を共有することで、企業と利害関係者がともに未来を描く基盤を整えていくのです。
企業が実践できるナラティブ設計のプロセス
ナラティブ戦略を効果的に活用するためには、感覚的に物語を語るのではなく、一定のプロセスに沿って設計することが重要です。まず取り組むべきは、企業としての「存在意義(パーパス)」を明確にすることです。これは「私たちは何のために存在するのか」という問いに対する答えであり、企業の歴史や創業背景、組織が大切にしている価値観を丁寧に掘り下げることで見えてきます。存在意義が曖昧なままでは、どれだけ魅力的な言葉を並べても、ナラティブは表面的なメッセージになりがちです。
次に、ステークホルダーの視点を整理します。企業に関わる人々は、それぞれ異なる関心・期待・不安を持っています。顧客、従業員、投資家、地域社会といった多様な立場の人々が「企業に何を求めるのか」を理解することは、共感を生む物語を設計するうえで欠かせません。この段階では、ヒアリングや従業員ワークショップ、口コミ分析など、実際の声を拾うことが有効です。
その上で、企業の存在意義とステークホルダー視点を接続し、「どのような未来に向かって進むのか」という物語を描きます。ここでは、過去の経験・現在の課題・将来の展望を一つのストーリーとして組み立てることがポイントです。ストーリーは長く複雑である必要はありません。一貫性と誠実さがあれば、簡潔でも力を持ちます。また、ナラティブは発信して終わりではなく、行動や意思決定に反映されていることが重要です。経営者によるメッセージだけでなく、日々の業務や施策の中で「物語を体現している状態」を目指すことが求められます。
ナラティブが組織にもたらす効果と長期的価値
ナラティブ戦略の効果は、短期的な認知向上に留まりません。むしろ本質は、組織文化とステークホルダーとの関係性に長期的な変化をもたらす点にあります。従業員が企業の物語に共感している場合、業務上の判断に迷いが生じにくくなり、行動に一貫性が生まれます。これは「何のために働くのか」という問いに対する明確な軸を提供するためです。同時に、組織内で共有される物語は心理的安全性にも関わります。共通の目的が認識されている環境では、立場や役割が異なっても、対話や協働が促されやすくなります。
ステークホルダーとの関係性においても、ナラティブは価値を発揮します。企業の取り組みが「数字」や「施策」ではなく、「背景や意図」を伴う物語として伝えられることで、理解や共感が深まります。特にサステナビリティや社会貢献といった分野では、取り組みの正当性や持続性を示すために、ナラティブが重要な役割を担います。
さらに、ナラティブが定着した企業は、外部環境の変化に対して柔軟に対応しやすくなります。なぜなら、短期的な変動ではなく、中長期的な方向性に基づいた判断が可能になるからです。長期的価値の創出という観点で、ナラティブ戦略は非常に有効なアプローチといえます。
まとめ
ナラティブ戦略は、企業がステークホルダーと信頼関係を築くうえで有効な枠組みです。存在意義の明確化、ステークホルダー視点の理解、そして未来へつながる物語の設計を通じて、企業は一貫した判断軸を持つことができます。ナラティブは単なるメッセージではなく、行動と意思決定を支える基盤です。中長期的な信頼を築くために、企業は自らの物語を丁寧に育て、発信し続けることが求められます。今日からできる最初の一歩として、自社の大切にしている価値をあらためて言語化してみることから始めてみてはいかがでしょうか。
参考文献
経済産業省「価値共創ガイダンス」https://www.meti.go.jp/press/2023/03/20230323004/20230323004.html
野村総合研究所「ナラティブ経営」https://www.nri.com/jp/knowledge/blog/lst/2021/fis/kiuchi/1021
PwC Japan「サステナビリティ報告とストーリーテリング」https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/column/sustainability/storytelling.html
KPMG Insight「ステークホルダーとの関係性」https://home.kpmg/jp/ja/home/insights/2022/07/corporate-governance-stakeholder.html


